混沌と希望

 2022年2月にロシアの侵攻で始まったウクライナとロシアの紛争は、多くの犠牲者を出し続け今なお収まる気配がありません。更に中東では、イスラエルとパレスチナの間で新たな紛争が勃発、中東の情勢がきな臭い状態になっています。ヨーロッパと中東の紛争の影響は世界中に広がり原油高、食料不足を引き起こしています。このような人為的な問題だけでなく、気候変動による世界的な異常気象も続いており、まさに、世の中は混沌とした様相を呈していると言えるでしょう。
 さて、混沌とは、混乱を表す言葉ですが、中国の神話がその語源となっています。
 大昔、三人の帝王がこの世を治めていました。南海の帝王を儵(しゅく)と、北海の帝王を忽(こつ)、そして中央の帝王の渾沌(こんとん)でした。ある時、三人の帝王が渾沌の治めている中央の地で偶然出会いました。渾沌は出会いを喜び、儵と忽を大変よくもてなしました。儵と忽は、たいそうもてなしてくれた渾沌にお礼をしようと相談しました。人には顔に七つの穴(両目・両耳・口・左右の鼻孔)があって、それを使って見たり聞いたり食べたり呼吸したりしている。ところが渾沌には七つの穴がなく定まらず、混乱した状態になっている。そこで、儵と忽は、お礼に渾沌の顔に七つの穴を開けてあげようということになったのです。ところが、一日に一つの穴を開け、二日目に二つ穴を開け、七日目に七つの穴を開け終えると渾沌は死んでしまいました。
 混沌とした状態が生まれるのは、不信、怒り、憎しみ、欲望など様々な原因がありますが、不正確な情報(デマ)も混沌を生み出す大きな要因となります。福島原子力発電所の処理水を海洋に放出することになりましたが、海洋放出の是非は別として、処理水を巡って様々な不正確な情報が飛び交いました。中でも処理水に含まれる物質、トリチュームが体内に蓄積し健康被害を引き起こす恐れがあるという噂が広がり、多くの人が不安となったのです。デマの拡散を防ぎ、収束させるには、正確な情報、知識を広めることが大切です。トリチュームについては、専門家が体内に蓄積しないという正しい情報が発信すると不安は自然とおさまっていきました。

       哀れなるかな 哀れなるかな
       長眠の子        
       苦しいかな 痛ましいかな 
       狂酔の人        
       痛狂は酔わざるを笑い
       酷睡は覚者を嘲る

これは、お大師さまが般若心経秘鍵でお説きになられたお言葉です。このお言葉のように、酔っ払いは、酒を飲まずしらふでいる人をあざ笑い、なまけて眠っている人は、一生懸命がんばっている人をバカにしがちです。人は誤った情報に接すると、判断を過ち、正しいことをしている人を見てその人を見下すものなのです。例えば、「正直者は損をする」という言葉がありますが、ともすれば私たちは「正直者は損をする」という情報が正しく思えるのです。そこで、正しいことをしていてもなんの徳にもならない。ごまかして、だましていたほうが得るものが多いと私たちは判断してしまうのです。
 種を蒔いたからといってすぐに芽が出て花が咲くものではありません。同じく、正しい行いをしたからといって、すぐによい結果がでるものでもありません。しかし、確実に言えることは、赤い花の種を蒔けば必ず赤い花が咲き、白い花の種を蒔けば白い花が咲き、その逆はありえないということです。長い目で物事を見ていくと必ず、正しい行いは、必ず正しい結果をもたらすのです。
 中央の帝王、渾沌に目、耳、口をつけたら死んだという神話は、自然に存在するものにむやみに人の手を加えると壊れてしまうという戒めだそうですが、正しく物事を見、聞きし、理解することができるならば、混沌、つまり、混乱した状態は自然と治まることを意味しているのでしょう。
 もう一つ神話を紹介しましょう。ギリシャ神話のパンドラの箱というお話です。ある時、神様から絶対に開けてはいけない箱を預かっていた男、パンドラが好奇心に負けてその箱を開けてしまうのです。箱を開けたその瞬間、箱の中から病気、貧困、犯罪、戦乱、増悪などこの世のありとあらゆる災厄が飛び出したのです。パンドラは慌ててふたをしめたのですが、もはや手遅れでした。しかし、飛び散らないで一つだけ箱の中に残ったものがありました。それは、希望だったのです。だから人間は様々な困難に出会っていかなければなら運命にありますが、どんな困難に巻き込まれようとも、希望を失うことなく歩んでいけるのだそうです。
 私たちの世界はまだまだ混沌とした状況が続きそうですが、決してデマに惑わされることなく、正しい情報と知識を得ることが大事です。仏教では正しく物事を見ることを正見(しょうけん)と言い、悟りを開くために大事なことだと説きます。正見は混沌をおさめ、世の中に希望を生み出します。来年は世界中の人びとが正しい智慧を得て、混沌がおさまり、平安な世になりますよう願います。  

令和5年 師走

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