人生の根

 寒い冬もようやく終わりを告げ、暖かい春がやってきました。十輪寺境内の桜もほころんできました。もうすぐ満開、今年もきれいな桜の花を見ることができそうです。まだまだコロナウィルス感染症が心配ですが、お花見をゆっくり楽しみたいものです。春は草花、木々が生長する季節です。この時期、活き活きと生長する草花の様子を見ていると、智辯尊女さまの次のようなお話をよく思い出します。
 十輪寺にお住まいだった智辯尊女さまの元に、ある方が相談に来られました。農業を営んでおられるのですが、畑の収穫が思い通りにいかないのです。決して怠け者ではなく、たいそう真面目な方で、人一倍働くのですが、同じ村の他の畑に比べて収穫高が低いのです。なぜ収穫が思う通りにいかないかを相談しにきたのでした。
 智辯尊女さまは、その方にお出会いするなり、「根っこに養分が届いていないですね」とおしゃったのです。それを聞いた男は、すぐさま帰り、とても高価な肥料を買い求め畑に与えたのでした。ところがその年の収穫の時、村中の畑が大豊作だったにもかかわらず、その方の畑は作物が全く育たず、全滅のような状態になったのです。慌てて尊女のところへ行き、再度、なぜ収穫がうまくいかないのかを尋ねたのです。すると尊女さまは、前回と同じように「根に肥料が届いていないから」とお話しになられました。それを聞いた男は、「あなたのおっしゃる通り、肥料をまいたぞ」と声を荒げたのです。すると尊女さまは、「根とは何かわかりますか」、と問いかけられました。「根は根じゃないか」と憤慨する男に、尊女さまは続けてこのようにお話になります。「この前お越しになった時、そのことをお話ししようとしたのですが、あなたは私の話を聞こうとはせず、帰ってしまいました。根とは人生の根。あなたは、自分の親をどのように扱っていますか」と問いかけられたのです。男ははっと気がつくのです。父親から畑を引き継いだが、父親の古い考え方とどうも意見が合わない。仕事に一生懸命になればなるほど、口げんかをすることも増えてくる。最初は口げんかだったのだが、最近はつい父親に手を出してしまうこともあったのです。その話を聞き、尊女さまは、「人生の根とはあなたの親のことです。そこを粗末にしていると何事もうまくいくはずがないのです。辯才天さまは、このままだとあなたの人生はとんでもないことになると、畑を枯らすことを通してあなたにお伝えになっているのですよ」とおっしゃったのです。そのお話を聞き、男は深く反省されました。もともと親思いの方であり、決して憎くて親につらく当たっていたのではなく、仕事に一生懸命になるが故の行いだったのです。それからは心を改め、親を大事にしたところ、畑はもとにもどったとのこと。
 花は美しい。その美しさを人間は愛でますが、花が美しいのもその花を見えないところで支えている根があるからこそなのです。根は目に見えない地下にあり、その根から樹木の成長に必要な水分、養分がやってきます。また、根がしっかり地面に張ることで、樹木も倒れることなく高く、大きく成長することができるのです。そんな大事な根ですが、お花見に行く我々は、花の美しさに注目をしますが根には見向きもしません。私たちは花の美しさに心を奪われ、根の存在など忘れてしまうのです。しかし、根の存在を忘れ、根の手入れを怠り、粗末にしていると花がしぼむだけでなく木全体が枯れてしまうことを忘れてはならないのです。
 私たちは目に見えるものを大事にしますが、根のように見えないものはその存在をそのものを忘れてしまいやすいものです。しかし、見えないからこそ忘れてはならないものが人生にはあることに気づくべきなのでしょう。私たち一人一人には、植物と同じように「根」があるのです。皆さんの「根」は大丈夫でしょうか。ひょっとしたら知らず知らずの間に根腐れを起こしているのかもしれません。

前のページに戻る
ページ上部へ戻る
error: Content is protected !!