器(うつわ)

 東京から京都まで特別列車をしたて、その列車に招待客と芸者を満載、何十時間も大宴会をする。海外に何百人もの人を引きつれ狩猟に行き、仕留めた猛獣を日本に持ち帰って、その肉で料理を作り、大勢の人を招いて食べさせる。上下とも総金歯にしただけでは物足らず、足袋のこはぜまでを純金にする。マッチ代わりに紙幣を燃やし煙草に火をつけ得意顔で煙をふかす。なんとも景気がよいというか、むしろもったいなくてあきれてしまうお話です。これはきっとあのバブルの時期の話に違いないと思われるでしょうが、バブルはバブルでも大昔、大正時代のお話なんだそうです。
 大正時代に第一次世界大戦が勃発しますが、世界大戦といっても戦場のほとんどが遠方の欧州であり、日本にはほとんど実害がありませんでした。反対に欧州の工場が戦災で壊滅、日本に商品注文が殺到したことや、戦勝国側としてアジアでドイツの植民地の権益を受け継ぐことができ、海外に新たな市場ができたことになどにより、それまで借金国として苦しんできた日本が、この時期に稼ぎまくり、にわか成金となったのです。
 それから約80年後、今度は昭和から平成にかけて同じ現象が生まれました。これは私たち自身がよく知っての通り、地価、株価は天井知らずの上昇。物を作れば必ず売れ、金が余ってしかたがないのでそれを海外に投資する。外国の有名なホテル、レストランなどが次々とジャパンマネーにより買い占められていったのもこの時期でした。時代が変わっても、結局人間のやることは本質的にあまり変わらないようです。そして結末も同じく、両時代ともバブルがはじけ、大不況を迎えてしまいました。
 経済のことはあまりわからないのですが、経済上の法則、理論というものがあり、バブルになるのも、それがはじけるのもその法則、理論を通して説明可能なのでしょう。しかし、これを「徳の法則」で考えることも大事ではないでしょうか。
 徳は入れ物、器(うつわ)と同じと言われています。私たちの幸せを入れることができる唯一の器なのです。器がなければ望むものを入れることができないように、徳という器がなければ幸せを手に入れることができないのです。どのようにすれば器、徳が身につくのでしょう。それには、低き心が大切です。高きより低きに流れる水のごとく、私たちの低き心に自然と徳が流れ込んで来るのです。低き心とは、日々多くのものをいただく中で、自分が生かさせていただいていると悟り、相手に物事に常に感謝の気持ちを持つ心です。
 残念ながら、この低き心を人間は、物事がうまくいくようになればなるほど忘れてしまう傾向があるようです。持っているのだから少々無駄に使ってもよいではないか。自分で稼いだものだからどのように使おうと勝手だ。確かに栄えることはすばらしことですが、繁栄は感謝を忘れた心、高き心をもたらす落とし穴を用意しています。水は高き位置には流れようとはしません。徳も、そして徳が生み出す繁栄も高き心には決してやって来ないのです。多くの人々が日々人生の頂点を目指し努力をしています。向上心を持つことは確かにすばらしいことですが、心は逆にどんな時にも低きを求めることが大事なのです。
 

平成11年妙音新聞掲載文より一部加筆修正

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