あべこべ

 十輪寺の壇塔場(墓所)に入ってすぐ左にたくさんの石が積まれています。これは智辯尊女さまがご供養された無縁仏なのです。この無縁仏について智辯尊女さまは次のようなお話をされています。

 先ほどお話しました方たちのように、御先祖さまを粗末にしたり、焼き捨てたり、そんな罪深い因縁をつくりますと、不幸なことが起こるのはあたりまえです。御先祖さまの霊の力というものは、本当におそろしいくらいでございます。
 十輪寺にいたしましても、管長さんで十六代目ですが、代々の僧正さんで五十歳以上生きた方がありませんでした。どうしてだろうと不思議に思っていたのですが、私が辯天さまを拝むようになりましてから、その因縁が解けたのです。
なにしろ十輪寺はお大師さまの時代からの古刹ですし、長い歴史があるだけに、たくさんの無縁仏が古井戸の底や土の中に埋もれていらっしゃいました。それを、一つ一つ探し出しまして、御回向させていただくようになったのです。
(宗祖お言葉集成より)

 無縁仏について次のようなお話があります。

 何人もの僧侶が本山から住職として派遣されていくのでですが、どの方も長続きしないお寺がありました。派遣された方が怠け者だということはありません。皆一生懸命頑張るのですが、お寺の運営がうまくいかなくなり、どの方も途中で投げ出してしまわれるのです。そのお寺に若い僧侶が派遣されることになりました。他の人たちがだめでも私は必ずお寺を再建してみせる。そのようなやる気と自信に満ちあふれた方でした。前任者の僧侶と同じように、それ以上にお寺を再建するためにその若い僧侶は寝食を忘れて励んだのです。ところが、しばらくして、その方も前任者と同じようにお寺の再建をすることができず、それどころか明日食べるものにも困るような状態になったそうです。必ず立て直すと大見得を切った手前、本山に戻ることもできず、とうとう夜逃げをする決意をされるのです。そんな時、ある人から奈良によくあたる神様がおられるとの噂を聞き、夜逃げをする前に一度出会ってみようと思われたそうです。
 訪れたところは、五條の十輪寺。そこで智辯尊女さまとその方は初めてお出会いになられたのです。智辯尊女さまに事情を説明すると、智辯尊女さまは、このようなお話をされまたした。
 あなたのお寺にはたくさんの無縁仏が境内に埋もれています。その無縁仏の供養が足っていないのです。だから、あなたがいくら一生懸命頑張ってもその無縁仏をご供養しない限り、あなたのお寺が繁盛することはないのです。
 お話を聞いたその若い僧侶はとても信じることができず、そんな馬鹿なことがあるものかと、そのような気持ちをお持ちになったそうです。しかし、お寺に帰り試しにお指図を受けた場所を掘り起こしてみると、たくさんの無縁仏が埋もれていたそうです。驚き、さっそくすべてを掘り起こし、丁寧にご供養をされたのです。するとどうでしょう。あれほど頑張ってもうまくいかなかったお寺の運営が徐々にうまくいくようになったのです。

 このお話は、30年ほど前、淡路島を訪れていたとき、参詣させていただいた八丈寺ご住職、岩坪僧正さまからお聞きしました。八丈寺といえば淡路島の名刹で、七福神めぐりでとても有名なお寺です。智辯尊女さまや十輪寺とこのようなご縁があったのかととても驚いたものです。

 私たちがみればただの石ころと思えるようなものであっても、大切にしなくてはならないこともあるのです。あまり大事にしなくてもよいものをすべてを犠牲にしてまでも大事にし、反対に決しておろそかに扱ってはならないものを粗末にしてしまう。そのようなあべこべを私たちはよくしてしまうことがあります。大切にしなくてはならないものを粗末に扱えば物事はうまくいかない。これは無縁仏だけに限ったことではありません。人生のありとあらゆるものについてあてはまることなのでしょう。

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