やろと思えばできる


 昔、中国に弓の名人がいました。ある日狩りにでかけると、草原のかなたに一匹の獅子が寝ているのを発見しました。これはしめたと矢をつがえ、渾身の力で矢をはなつと、矢はまっすぐ獅子の方に飛んで行き、見事に命中しました。しかし、近寄ってみると、獅子だと思ったのは、獅子の形をした岩であったのです。その岩に突き刺さる矢を見て、「いくら私が弓の名人だといっても、あのように離れたところから放った矢がこんな硬い岩にささるはずがない」と疑念を抱いたのです。そこで、もとの所に帰り、再び渾身の力を込め矢を放ってみました。矢は同じように獅子の形をした岩に向かって飛んでいき、見事に命中したのですが、今度は矢は岩に刺さらずはね返されました。
 人間は不思議な生き物で、同じことをしてもちょっとした心の持ち方により結果が大きく異なることがあります。どんなに周囲の条件が悪くとも、自分はこの困難の状況を乗り切ることができるのだとの確信があれば、悪条件の中でもすばらしい結果を引き出すこともあります。反対に、どんなに恵まれた条件であろうとも、いったんいかに努力してもだめだとあきらめてしまうと、せっかくの好条件を活かすことができないものです。
 宗祖(辯天宗宗祖大森智辯尊女)さまは、二十才の時、辯天宗第一世管長(当時の十輪寺住職大森智祥師)さまとご結婚され、吉野の大師堂から十輪寺へお越しになられました。当時の十輪寺は経済的に大変困難な時期であり、宗祖さまがお裁縫などの内職をされ、なんとか家計のやりくりをされておられました。賽銭箱もあるにはあったのですが、開けるのは年一回でよく、しかもいざ開けてみると中から出てくるのはわずか一円二十銭とひからびたお米がでてくるのみであったそうです。そんなある日、十輪寺の縁側で宗祖さまが御母堂さまと談笑されておられる時、ふと宗祖さまが辰巳の方向をご覧になり、遠くに見える最初坊(野原地区の墓所)を示され、「おかあさん、わたしあの最初坊まで土地を買ってみようかな」といわれました。それを聞いたご母堂さまは、笑いながら「せめて賽銭が一日に一円あったらな」とおっしゃたのです。しかし、宗祖さまは当時を振り返りこのようにおっしゃておられます。「お金は無かったけれど、心だけは大変な金持ちだったのです。」
 宗祖さまはその後、辯天宗を立宗され、大和本部、東京本部、大阪本部を創建、更に智辯学園を開校されるなど、つぎつぎと大事業を成し遂げられていかれました。振り返って見ると、いずれの場合も決して恵まれた条件の下ではなかったように思えます。特に智辯学園をお建てになられようとされた時、宗団は大阪本部創建という大事業を終えた後であり、誰にとっても新たに学園を開校することは不可能と思えました。しかし、それでも様々な悪条件を乗り越え、つぎつぎと大事業を達成されることができたのは、宗祖さまが苦難な状態でも常に心豊かで、決してあきらめない強い心をお持ちになっておられたからではないでしょうか。
 ご本尊さまがどんなにお力のある神様であろうとも、もし私達が最初からできないと思いこんでいるなら、何事も成就しないことでしょう。「やろうと思えばできる。できないことはないはずです」この強い心がおかげを生み出す源なのです。

平成12年1月 妙音寄稿文一部加筆修正
 

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