幸せを生み出すもの・・・


 令和3年3月、東北大震災から今年で10年目になります。多くの方が津波で亡くなったあの日のことを忘れることはできません。きょうの法要でも震災で亡くなられた方の廻向をさせていただきました。津波ととも大きな被害を出したのが原子力発電所の事故です。今後何十年にもわたり復旧に取り組んでいかねばならない深刻な事故となりました。
 震災10年目にあたり放映されたテレビの特集番組で元総理大臣の小泉純一郎氏が出演され、原子力発電の怖さを説いておられました。テレビで小泉さんの姿を見て、小泉さんが総理だったころのことを思い出しました。小泉総理といえば、拉致問題への取り組みや郵政改革の断行など類いまれなるリーダーシップを発揮された方で、多分、多くの日本人にとって歴代総理大臣の中では最も印象に残る方ではないでしょうか。個人的に拉致、郵政改革とともに印象に残っているのは、就任の時の挨拶です。覚えておられる方も多いと思いますが、挨拶の中で小泉さんは米百俵の話をされました。
 時は幕末の頃、日本は新政府と幕府方に分かれての戦となりました。長岡藩は、幕府方につくことになり、官軍と戦いますが大敗、大きな損害を出し、人々は食うや食わずの状態になりました。そんな時、苦境を見かねた親戚の藩よりお見舞いとして米百俵が届いたのです。人々は大いに喜びその米が分配されるのかと心待ちにしますが、いつまでたってもその気配はありません。それどころか家老がこのように言ったのです。米は分配しない。その代わりに米を売り学校を建てる。人々はそれを聞き怒ったのです。そりゃそうでしょう。こんな時に学校を建てるなんて考えられません。皆飢えて苦しんでいるのになぜ学校なんか建てるのだと、家老に詰め寄ったのです。怒り狂う人々の前で家老は、このように言いました。長岡藩がこのような惨めな状態になったのも、先を見据えて判断できる人がいなかったからだ。二度とこのようなことにならないように学校を建て、人を育てたい。騒いでいた人々は家老の話を聞き、結局、家老の提案に賛成することになったのです。そして長岡には当時としては立派な学校が建てられ、後の世で大活躍する人材が次々を育ったのだそうです。小泉改革には賛否がありますが、就任時のこのお話しは当時、多くの人々の共感を得たように思います。

 米百俵は「物」ではなく教育という目に見えないものへの投資が大きな成果をもたらしたというお話しですが、私たちは自分の幸せを考える時、どうしてもお金や物にこだわります。もちろん人生においてお金や物は大事だということは間違いありません。なければ思ったこともできないし、そもそも生きていくこともできません。しかし、お金や物があればそれで幸せな生活ができるかというと必ずしもそうでもありません。実際、お金や物に恵まれて自分の不幸を嘆く人もいるように、幸せを考えるときお金や物だけでは不十分なのです。忘れてはならないのは心です。幸せを生み出す心を持ちましょう。

 十輪寺のある野原町には最初墓(さいしょぼ)という墓所があります。弘法大師がこの地区で最初に開かれた墓所ということで最初という名がついているとても古い墓所です。最初墓には十輪寺の先師(歴代住職)の墓が有り、毎年春秋の彼岸、お盆にはお参りに行きます。先日お彼岸のお参りに最初墓に行くと、駐車場近くのお墓の前で、20歳ぐらいの青年4人がひざまずき手をあわせいる姿を目にしました。彼らは茶髪(中には金髪の子もいました)で耳にピアスもしているような青年たちでしたが、大きな声で般若心経を唱えていました。彼らが真剣に祈る姿を見ていると自然と涙がでてきそうになりました。多分、彼らは小さな時から両親よりお墓参りをすることを教えられていたのでしょう。私は、青年たちが祈る姿を見て、彼らはとても大事なものを受け継ぐことができたのだと感じました。
 幸せを生み出す心、それは神仏、御先祖、周りの人々、すべての物事に感謝できる心だと思います。皆さまもどうか子どもや孫に大切なものを残してあげて欲しいと願います。感謝ができる心、それは米百俵が長岡だけでなく日本全体に大きな繁栄をもたらしたように、きっとあなたのご家庭にも大きな幸せを生み出す力となることでしょう。

(令和3年3月21日 彼岸会法要での法話より)

 

 
 

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