先に行く人

 東京オリンピックの開会日がせまってきましたが、コロナウィルス感染症がまだ世界的におさまらず、本当に開催できるのかも定かではありません。そのような中、先日あるテレビ番組が人見絹枝という女性選手を紹介していました。人見選手は明治40年生まれ、早くから陸上競技において非凡な才能を発揮し、昭和三年に開催されたアムステルダム五輪では女子800m走に参加しました。接戦の末おしくも優勝は逃しましたが、見事2位となり日本人女性として初のメダルを獲得しました。
 才能にも恵まれ、輝かしい成績を残した人見選手でしたが、実際はかなり苦労を味わったようです。当時、日本ではそもそも女性がスポーツをすること自体否定的でした。今では信じられないことですが、女子選手が着る運動着にさえも、はしたないという人が多かったのです。人見選手がアムステルダムより帰国後出版した自伝「スパイクの跡」にはこのような記述があります。

《女子陸上界の先頭に立たされた私には、いうにいわれぬ苦しさと寂しさがあった。》

 人見選手は世間の偏見、無理解にかなり苦しんだようですが、それを乗り越えての快挙にはただ敬服するのみです。今でこそ女子選手が五輪で活躍するのは当たり前ですが、かつては参加することさえ困難な時代があったのです。スポーツに限らず何事であれ栄光の背後には人見選手のような数多くの先人の苦労、思い入れがあってこそということを私達は忘れてはなりません。
 さて、現在、私達の生活は、昔に比べれば驚くほど豊かで便利になりました。昔の人達が見ると多分仰天するようなものでさえ日々当然のように利用し生活をしています。 どんなにすばらしいものでも一旦当たり前という気持ちを持つと私達は感謝を忘れてしまうものですが、私達が当たり前と思っているものにも、先人の想いや願いがこめられているものがたくさんあるということを絶えず思い起こすことが大事だと思います。そして更に大切なことは、私達自身もその内の一つであるということです。
 私達一人ひとりには両親、祖父母、そしてご先祖様を含めた先人の無事に育って欲しいという多くの願いがこめられています。先祖を英語ではアンセスター(ancestor)といいます。もともとラテン語で「先に行く人」という意味があるそうです。先に行く人があってこそ後が続いていけるものなのです。様々な苦労を乗り越え、私達に生命をはじめ多くのものを伝えて下さった先人=御先祖様にどうか家族そろって日々感謝を捧げていただきたいと思います。
 

 
 

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