十輪寺ブログ

ちべん保育園と十輪寺

 

 子どもたちが十輪寺の本堂前に集まり記念写真を撮っています。いったい何があったのでしょう。実は、これはちべん保育園の前身、野原保育園の子どもたちの写真です。

あさおきて
きものきて
おくすりとって
がっこうたたて

 この言葉は、智辯尊女さまが幼少の頃、生家の柱にお書きのなられたものです。小さな頃から、将来学校を建てたいとの想いをお持ちになられていました。智辯尊女さまがご結婚され十輪寺にお移りになられた頃、十輪寺はともて荒れ果てた状態になっていたそうです。当時を振り返られて次のようにお話をされています。

 私が管長さまのもとへ嫁いでまいりましたころの十輪寺と申しますと、それはもう大変な荒れようでございました。雨が降ろうものなら、本堂や庫裡のそこここから雨もりがしまして、やれ「タライや、バケツや」といって、雨受けに駆けずりまわったものです。畳はムシロのようにささくれ立ち、お寺の土塀もくずれ落ちたままで、門から出入りするよりも、くずれた土塀をまたいで行ったほうが早い、といったありさまでした。(中略)
 けっきょく、管長さまとも話し合いまして、お寺の再建はともかくも、まず”人の心にまことの信仰心を養ってもらうことが一番だ”と考えました。そして、そのためには小さいころからの教育が大切だと思いまして、保育園を始めたということもあるのです。
(宗祖お言葉集成 第五集より)

 このような思いを持たれた智辯尊女さまは、昭和21年8月、託児所を十輪寺内に開設し、野原保育園(後のちべん保育園)とされました。初代園長には、当時、十輪寺住職であった大森智祥師が就任されました。保育園といっても当時は子どもたち専用の保育室もなく、十輪寺の本堂にて子どもたちを預かるという質素でのどかなものでした。
 その後、昭和40年に、智辯尊女さまは念願の智辯学園を創建されることになります。野原保育園の開設は、尊女さまが小さな頃から抱かれた夢の実現への第一歩であったといえるでしょう。
 写真は昭和23年のもので、撮影場所は十輪寺本堂前です。野原保育園の看板が本堂向かって左側に掲げられています。正面中央には、ちべん保育園初代園長、辯天宗第一世管長大森智祥猊下、左側には辯天宗宗祖智辯尊女さまもお入りになっている貴重な写真です。

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