十輪寺ブログ

お大師さまの井戸

 十輪寺庫裏の横には井戸があります。十輪寺縁起状によると、お大師さまは、和州(大和の国)に500もの井戸を掘られ、その最初の井戸が十輪寺の井戸であったと書かれています。

 昔は生活のための水をこの井戸からとっていましたが、今では使われていません。普段は転落防止のため、ふたをしてありますが、撮影のためふたを取り除きました。井戸の奥には水が見えます。以前、井戸の専門業者に計測していただきました。業者によると、井戸の深さは約11mで、飲料には適していないが水深5mものたっぷりの水があるとのことでした。
 この井戸が500の井戸の最初だとすると、最後の500番目の井戸はどこにあるのでしょう。十輪寺縁起状によると、法隆寺の近くの五百井村(いそいむら)にあると記されています。調べてみると今でも「業平姿見の井戸」として大事に保存されているようです。
業平姿見の井戸

 また、この井戸は辯天宗宗祖智辯尊女さまにまつわるお話しにも出てきます。

 職人さんが私たちを見るなり、「お宅の坊ちゃん、井戸にはまったらしいでっせ」と教えてくれました。このとき、管長さまは、「ああ、うちの子はもうイカれたな」 と思ったらしいです。まだ四歳やそこらでしたから無理もありません。
 ところが、子どもはすでにご近所の小倉さんというおじいちゃんに救け出されていまして、不思議に水一しずくも飲んだふうには見えないんです。
 この井戸は二重ポンプになっていまして、一回揚げた水を途中でためて、水圧が上がったところでもう一回揚げるという、深い井戸です。中ほどの二重ポンプのところの松の木の丸太が渡してあるんですが、落ち込んでその丸太に当たったら即死はまぬかれません。だのに、その丸太の間をスッと通り抜けて、井戸の中にある鉄管をとっさに握って助かったのです。
 そして、上を見て、みんながワイワイ言うのを聞いていたらしいんです。
 小倉のおじいちゃんが「よし、わしが入ったる」と言うて井戸の中へおりていかれたんですが、あとで子どもが申しますには「上を見てたら、下りてくる小倉のおっちゃんのチンチン見えとったわ」
 まあ、そのくらい余裕があったんですね。
(辯天宗宗祖お言葉集成より)

 落ちたのは智辯尊女さまの四男、祥吾さま。4才の時だったそうですが、今でも当時のことをよく覚えておられお話を聞かせてくださいます。井戸の様子を見るとまさに九死に一生のお話です。

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